2月22日

社会に戻ってきて、もう少しで1年6ヶ月になります。

 

およそ4年半、社会から隔離され、法律的な意味で、罪を償っていましたが・・・

自分のやってしまったことを考えると、あまりにも短い刑期です。

 

自分の罪は、一生をかけて償っていくもの。

4年半は塀の中で、残りの刑期は社会に出て・・・

と勝手に個人的に考えています。

 

僕がもし逆の立場や、ご遺族様方の立場だったら・・・

想像することすらおこがましいことですが

4年半なんて、絶対に許せないです。

 

塀の中で、【償う】ってどういうことなのか

ずっと考えてきました。

もちろん今も、考えています。

 

この1年半、本当にいろいろなことがあって

あっという間でした。

 

 

よく、4・5年程度では、感覚なんて大して変わらないでしょ

なんて言われますが・・・

 

最初は、本当に新幹線に乗るのも、コンビニに入るのも怖かったです。

大の大人が情けない話ですが・・・

 

人混みが怖く、すぐに気持ち悪くなってしまう。

人に会うのが怖くて怖くて・・・

 

人によって違うのかもしれませんが、僕はそうでした。

 

 

1年半で、だいぶ社会に居る感覚は戻ってきたと思いますが・・・

最近でも、急に精神的に不安定になったり、震えてきたりと正直まだまだです。

 

毎日、少しずつ、一歩ずつ前に進んでいければと思っています。

 

社会に戻ってきてから、より多くの方々に支えて頂き、声をかけて頂いています。

これは正直、塀の中で想像していたこととは全然違います、本当に本当に有難いです。

 

もちろん、サッカー以外の繋がり、人間関係もありますが。

改めて、サッカーをやっていて本当に良かったと思います。

サッカーでのつながり、お世話になった方々や、チームメイト、後輩、教え子・・・

 

たくさん、励みをもらい、後押ししてもらい、勇気をもらっています。

 

 

刑期の3倍を社会で生活してはじめて社会での自分自身を取り戻せるとも言われています。

もしそうだとしたら、私は、後12年・・・

 

まだまだこれからです。

 

頂いたいのち

与えられたいのち

生かされているいのち

19.無限の豊かさは自分にある

(ニーチェの言葉)

同じ物を相手にしていても、ある人は一つか二つくらいのことしか、そこから汲み出すことができない。このことはふつう、能力の差だと思われている。

しかし実は人は、その物から何かを汲み出しているのではなく、自分の中から汲み出しているのだ。その物に触発されて、自分の中で応じるものを自分で見出しているのだ。

つまり、豊かな物を探すことではなく、自分を豊かにすること。これこそが自分の能力を高める最高の方法であり、人生を豊かに生きていくことなのだ。

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